パブリックアートをともに手がけたアーティストの方々をご紹介します。
愛知県名古屋市で生誕。常盤女学院を卒業し、中央美術学園を修了。20代半ば、結婚を機に故郷の名古屋市を離れ、島根県に移住。自然や環境、宇宙をテーマにした数々のパブリックアートを手がける。また日本だけでなく、欧米諸国のさまざまな展覧会に絵画を出品し「色の魔術師」と絶賛され、国際画家として活躍。アメリカの企業とライセンス契約し作品の製品化・商品化、パリの国立グラン・パレ美術館に絵画が収蔵される。2016年永眠。
宮城県仙台市生まれ。1980年、集英社主催の第 20 回手塚賞にて『武装ポーカー』で準入選を受賞。1986年、「週刊少年ジャンプ」にて連載がスタートした『ジョジョの奇妙な冒険』は、読者から絶大な支持を獲得。2023年2月より「ウルトラジャンプ」にて、シリーズ第9部となる『The JOJOLands』を連載中。
1937年生まれ。モザイク、ステンドグラス、自然石など様々な素材によるパブリックアート作品を手がけ、国内外の各地に設置されている。東京藝術大学名誉教授。
一水会の設立に携わり、以降重要なメンバーとして活躍。全国300ヶ所以上を訪ねた「明治西洋館」シリーズは美術の枠を超えた文化的な仕事として高い評価を受けている。都会的で美しい色彩の作品は独自なもので、親子の愛情や詩情溢れるみちのくの暮らしに生き生きとした聖性を描き出し、日本洋画界に金字塔を打ち立てた。
1928年ベルギー・アントワープ生まれ。メキシコ各地を歴訪後日本を拠点とし、東京藝術大学、沖縄芸術大学で教鞭をとるとともに、パブリックアート(壁画、ステンドグラスなど)の制作活動を精力的に展開。独特の造形ニュアンスと洗練された色彩感覚による作品においては、身近なモチーフでさえも意外で新鮮な印象を受ける。また、他作家による原画を壁画などに「翻訳」する、パブリックアートの造形・制作スペシャリストとしても数多くの実績を残した。2010年 永眠。
1892~1974年。日本画家。写実をベースに、鮮やかな色彩と単純化された形による独自の装飾的作風を確立し、大正から昭和にかけて日本画壇を代表する巨匠のひとりとして活躍しました。
1937年北海道旭川市生まれ。平山郁夫に師事。身近な自然、人間等を対象に、淡い中間色のトーンにより、しなやかな線描を用いて、清らかな心象風景を描く。1965年院展に初入選、以後多くの賞を受賞し、1983年日本美術院賞、大観賞を受賞。2014年現在、東京藝術大学 名誉教授、日本美術院 同人・理事。
1923年 沖縄県那覇市に生まれる。1946年、大阪市立美術研究所で絵画を学ぶ。一貫して沖縄と平和をモチーフに、沖縄の人々の強さ、優しさを表現し続ける。1970年以降は版画に専念する。油絵、版画制作のほかに絵本の制作も数多く手がけ、次世代を担う子どもたちに沖縄の風土や歴史を伝えている。2017年永眠。
1930年広島県生まれ。東京美術学校(現 東京芸術大学)日本画科卒業。現代日本画壇を代表する作家。シルクロードをテーマにした作品、高松塚古墳壁画の模写のほか、「文化財赤十字」運動を展開し、国際的評価も高い。東京芸術大学美術学部教授、学部長、学長を歴任したほか、ユネスコ親善大使・世界遺産担当特別顧問、東京国立博物館特任館長、文化財保護・芸術研究助成財団の理事長などをつとめた。1998年文化勲章受章。2009年永眠。
1918年東京生まれ。日本を代表する女流画家。アマゾン、マヤ遺跡、インカ文明をはじめ、幻の高山植物ブルーポピーを求めてヒマラヤに取材旅行に行くなど、常に旺盛な好奇心で新しいテーマに挑む姿勢は多くの人々に感動を与え続けている。また、大好きな花や鳥などの自然の生命をモチーフとする作品も多く「花の画家」と呼ばれる。近年では微生物や海中に生きる生物等もモチーフとして描いている。2019年永眠。
1922年鹿児島県伊佐市(旧大口市)生まれ。
太陽と緑の国、南国で培われた自由闊達な画風が特徴で、描くほどに画面が新鮮に輝き、泉のように湧き出す犬童カラーの作品群は高い評価を得ている。
制作活動の他、後進育成の要職を務めるなど、鹿児島を代表する貴重な作家の一人である。
画業や美術教育振興等の貢献に対し、鹿児島県民表彰や南日本文化賞、地域文化功労者文部大臣表彰等がある。2018年逝去。
1905年生まれ。日本を代表する女流画家。強い個性で日本的イメージを鮮烈な色彩で大胆に表現する。1989年には女性で3人目の文化勲章受章。愛知県立芸術大学名誉教授。2008年永眠。
現代アフレスコ画の第一人者であるばかりか、日本洋画界を担う作家として活躍している。豊かで自由なイマジネーション、極度の精神集中と持続力から生み出される絵画世界には、鮮烈な色彩が奔流し、熱情と生の歓喜がダイナミックに展開する。大胆で自由奔放なフォルムからなる作品は、観る人に深い共感と関心を呼び起こす。スチロフォームとミクストメディアによる立体作品、さらには石彫や絹本岩彩にも取り組んでいる。東京藝術大学や大阪芸術大学で後進の指導に当たり、若手芸術家を支援。文化庁主催の「子供 夢・アート・アカデミー」にも携わり、次代を担う若者たちに創造の喜び、楽しさを伝えている。
日本芸術院会員、独立美術協会会員、東京藝術大学教授を歴任。2021年文化勲章受章。2025年永眠。
兵庫県生まれ。現在は東京を拠点に活動。90年代より雑誌の読者モデルとして注目を集め、2000年代には文化服装学院にて服飾を学びながら、「ファッションと自己表現の可能性」をテーマにアーティストとしての創作活動を開始し国内外で多数の展覧会を開催し、その活動は常に高い注目を集めている。
清川の作品は、ソーシャルメディアや雑誌などのメディアシステムを通して日々膨大な情報に晒される社会で、個人のアイデンティティの内と外の間に生じる差異や矛盾に焦点を当て、可視化している。
写真や雑誌、本や布に刺繍を施す独自の手法を用いた作品でよく知られ、代表作として「美女採集」「Complex」「TOKYO MONSTER」などのシリーズがあり、個展や世界各地のグループ展やフェアに参加し、近年は表現・活動の領域を広げ広告、映像、空間、プロダクトデザインなどのクリエイティブに携わるとともに、絵本の制作や地方創生事業にも取り組む。
1968年広島県広島市出身
中学生のころから漫画を描き始め、広島大学理学部に入学し、イラストマンガ同好会に所属。本職の漫画家を志して大学を中退し上京。とだ勝之、谷川史子らのアシスタントを経て、1995年に「街角花だより」でデビュー。2004年に「夕凪の街 桜の国」で第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、第9回手塚治虫文化賞新生賞を受賞。原爆の被害を受けた広島を舞台に、最もか弱き者たちにとって戦争とは何だったのか、原爆とは何だったのかを伝える渾身の作品は田中麗奈主演で映画化され、2007年7月に公開された。2009年に「この世界の片隅に」で第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞。同作品は2011年に日本テレビ、2018年にTBSでドラマ化され、2016年と2019年には片渕須直監督によって劇場アニメが公開された。
1954年横浜生まれ。東京大学建築学科大学院修了。コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築都市設計事務所を主宰。現在、東京大学大学院教授(建築)。
自然と技術と人間の新しい関係を切り開く建築を提案。和紙や石、竹や土、プラスティック、形状記憶合金まで、あらゆる素材での常識の枠に収まらない独創的な仕事を展開している。
1944年、長野県に生まれる。1971年、東京藝術大学大学院美術研究科を修了。1974年には高松塚古墳壁画模写に参加。2003年に《穣》で第9回足立美術館賞を受賞。翌年、院展同人に推挙される。その間、広島市立大学教授となり後進の育成にも尽力。中国やインドなどの海外に取材し、自然とともに生きる人々を、抒情豊かに描き出している。
1995年に「minä perhonen(ミナ ペルホネン)」の前身である「minä」を設立。ハンドドローイングを主とする手作業の図案によるテキスタイルデザインを中心に、衣服をはじめ、家具や器、店舗や宿の空間ディレクションなど、日常に寄り添うデザイン活動を行っている。国内外のテキスタイルブランドへのデザイン提供、新聞・雑誌の挿画なども手掛ける。2006年毎日ファッション大賞、2015年毎日デザイン賞、第66回芸術選奨文部科学大臣新人賞、2025年毎日ファッション大賞選考委員特別賞受賞、フィンランド獅子勲章騎士一級章受賞。
1947年生まれ。STUDIO SILVIOCOPPOLA(イタリアミラノ)を経て、1972年、東京にドーンデザイン研究所設立。JR九州の車両、駅舎などを多数デザインし、多くの賞を受賞している。現在、JR九州デザイン顧問、両備グループデザイン顧問。
1919年~1987年
「光と影の華麗なる世界」と称される美人画や、ポスター、書籍の 表紙画と装丁、挿絵、水墨画に及ぶ多彩な作品を残し第一級の先 駆的業績をあげた。実家のあった秦野市にアトリエを構え、松坂屋 百貨店銀座店宣伝部に勤務しながら1946 年から15 年に渡り創作 活動を続けた。1957年に就役した特急ロマンスカー・SE 車のカラー デザインや内装をはじめ、箱根・丹沢・江の島などの旅客誘致ポ スターも手がけ、小田急線との関わりが深い。1979 年「日本芸術 院賞」、1987 年「勲三等瑞宝章」を受章。秦野を “ふるさと” とし て愛し、数多くの作品を残した。2001 年に秦野市立「宮永岳彦記 念美術館」を開設。
蝋型鋳金作家・二代目宮田藍堂の三男として生まれる。イルカをモチーフとした「シュプリンゲン」シリーズなどの作品で、国内外で多数の美術展に参加。「日本現代工芸美術展」大賞・文部大臣賞・内閣総理大臣賞や「日展」特選・内閣総理大臣賞等を受賞。2012年日本藝術院賞受賞。長年東京藝術大学学長として大学運営にあたる傍ら、文化庁文化審議会会長、NHK経営委員、日展理事、現代工芸美術家協会常務理事、横綱審議委員会委員などを歴任。2016年から2021年まで文化庁長官として日本の文化行政の舵取りを担う。また、2020東京オリンピック・パラリンピック、エンブレム、メダル、トーチなどの選考委員会座長をつとめる。2022年、日展理事長に就任。現在、東京藝術大学名誉教授・顧問、文部科学省参与、長岡造形大学客員教授。
1976年青森県三沢市で生まれ、東京で育つ。武蔵野美術大学 視覚伝達デザイン学科を経て博報堂入社。2007年、もっとイノチに近いデザインもしていきたいと考え「出会いを発見する。夢をカタチにし、人をつなげる」をモットーに株式会社goen°を設立。現在、広告の企画、演出、商品開発、ミュージシャンのアートワーク、本の装丁、映画・舞台の美術や、動物園や保育園の空間ディレクションを手がけるなど活動は多岐にわたる。ニューヨークADC賞、東京ADC賞グランプリ、伊丹十三賞、日本建築学会賞など多数受賞。
1945年(昭和20年)疎開先の長野県小布施に生まれる。父は日本画家 中島清之(きよし)。1971年東京芸術大学大学院卒業。在学中に院展初入選、以後受賞を重ねる。人間を題材とした「衆生」「形態」などのシリーズのほか,桜をはじめとする花鳥画など多彩な画題に取り組み、日本画であり続けながら伝統に安住せず、常に新しい時代の表現を求めて独創的な美の世界を謳い続けている。現在、東京藝術大学名誉教授。日本美術家連盟常任理事。Artist Group―風―メンバー
1911年京都生まれ。叔父にあたる日本画家・西山翠嶂に師事。大胆な構成と、力感あふれるタッチで、山岳画の第一人者となる。日本藝術院会員。1982年、勲三等瑞宝章受章。1989年永眠。
1918年、メキシコ サカテカス州生まれ。1955年メキシコ国立芸術大学教授となる。シケイロス、タマヨと並ぶメキシコの国際的壁画家。「風月延年」で日本における壁画を制作。2014年永眠。
日本を代表する洋画界の巨匠。
時流にとらわれることなく、ひたすら自己の絵画と格闘し続け、その大胆で新鮮な画面構成からは何ものにも束縛されない自由さが感じられる。安井賞を受賞した「岩上の人」などがあり、絵画のほかにも絵本や数多くのエッセイを執筆し、人間味あふれる文筆活動でも多くのファンを持ち、1978年には「四百字のデッサン」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞するなど、文化・芸術の分野で活躍している。東京藝術大学名誉教授。2014年、文化勲章受章。2023年永眠。
1895年生まれ。新感覚の日本画を志し、色彩と構図に今までの日本画にない独創性を生む。<物みな仏>の信念のもと、身近なものを描いて、現代女流画家の最高峰にあった。1980年文化勲章受賞。2000年永眠。
代表作に『童夢』『AKIRA』などがある。ペンタッチに頼らない均一な線による緻密な描き込み、複雑なパースを持つ画面構成などそれまでの日本の漫画にはなかった作風で、80 年代以降の漫画界に大きな影響を与えた。映像では、長編アニメーション作品『AKIRA』、『MEMORIES』、『スチームボーイ』など自ら監督して活躍している。
1943年に熊本市に生まれ、少年時代を福岡県大牟田市で過ごす。東京藝術大学で学び、大学院修了後は独立展をはじめとする展覧会で作品を発表し、画壇の注目を集める。少年時代の思い出に着想を得た「毬シリーズ」と呼ばれる幻想的な作品を描いていたが、79年に家族と共に渡仏、それを機に二人の娘たちをモデルにした「少女シリーズ」に取り組み始める。以降、成長していく娘たちや家族をテーマにした作品をライフワークとして描きつづけながら、近年は風景画も新たなテーマとしている。
日本芸術院会員、独立美術協会会員・多摩美術大学造形表現学部学部長を歴任。
青森県生まれ。女子美術大学卒業後、同大学芸術学部教授、同大学院美術研究科教授、同大学学長を歴任。「佐野ブルー」と呼ばれる青を基調とした作風で知られている。2023年永眠。
1924年生まれ。ドイツの造形美術作家。非常に研ぎ澄まされた感覚と、自身の芸術への信念により国際的にその名を知られた現代ステンドグラス作家。世界中に多くの作品を制作している。2011年永眠
1931年生まれ、島根県出身。研ぎ澄まされた感覚により、空間にデリケートなバランスを創り出す造形が特色。木材を削り組み合わせ、空間に美しさを際立たせた「そりのあるかたち2002」により日本藝術院賞受賞。2008年文化功労者。2020年文化勲章受章。2023年永眠。
伝統的な漆工芸に現代的な感覚を導入し緊張感に満ちた華麗な作品を生み出す。彫刻的表現や壁画など「漆」の世界に留まらない多くの作品を手がける。1997年文化勲章受章。
1980年、『キャプテン翼』(集英社)で漫画家デビュー。1983年にはアニメ化。同作品は日本でのサッカー人気はもとより、世界のサッカーの普及・発展に大きく貢献し、数多くの海外サッカー選手たちへも影響を与えた。現在でも世界中で愛され続けるグローバルコンテンツとなっている。現在、『グランドジャンプ』誌にて『キャプテン翼 ライジングサン』を連載中。2017年6 月にはシリーズ通巻100巻を達成した。2018 年4月よりアニメ最新作が放送される。葛飾区に実在するサッカーチーム「南葛SC」の後援会長を務めるなど、漫画家以外の活動も積極的に行っている。
京都精華大学名誉教授、日本漫画家協会理事、日本マンガ学会会長。
1968年漫画家プロデビュー。少年愛をテーマとした「風と木の詩(うた)」(1976~84年)は人間ドラマの傑作として、その後の少女漫画の世界に大きな影響を与える。その他に、SF漫画「地球へ…(テラへ)」や「天馬の血族」など、幅広いテーマの代表作多数。第9回星雲賞コミック部門、第25回小学館漫画賞、第41回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞。2014年には紫綬褒章を受章。2020年には徳島県文化賞を受賞。
1949年愛媛県生まれ。建築家や写真家と協力し領域的に広い活動を始め、過去の建造物を修復再生する活動を行っている。フランス ノルマンディーの礼拝堂再生プロジェクトを手がけ、仏芸術文化勲章オフィシエ受章。
1936年 石垣島生まれ。
1996年 重要無形文化財「紅型」保持者(人間国宝)に認定される。
琉球紅型宗家城間家十四代・城間栄喜(しろま えいき)に師事。伝統的な紅型技法を習得後も各種の古染型が伝える意匠や技法についての研究を重ねながら技の錬磨に努めている。
沖縄産生地の風合いを生かしながら現代感覚に沿った作品を発表して高い評価を得ている。
沖縄の風景、海の情景、道に咲く花など、心に残ったもの、魅力を感じたものをスケッチして図案の基本としている。デザインには特に沖縄の草花が多く使われ、色彩も華やかで美しい。
1928-1989年。大阪府豊中市に誕生。大阪帝国大学附属医学専門部を卒業、医師免許を取得、のち医学博士。日本を代表する漫画家でありアニメーション作家。
1946年、18歳の時に『マアチャンの日記帳』でデビュー。一躍人気漫画家になり、生涯に亘り描いた漫画作品は700タイトルを超える。1963年には日本で最初の本格的テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』を制作するなど、日本の漫画界、アニメ界に大きな影響を与えてきた。没後も、アメリカで最も権威ある漫画賞のひとつ、アイズナー賞を受賞するなど、受賞歴は多数。代表作は、『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『ブラック・ジャック』『火の鳥』『アドルフに告ぐ』など。今もなお世界中の人々に読み継がれている。
1921年生まれ。メキシコを題材とした情熱的な作品を多く残すとともに、メキシコ文化の紹介、普及に尽力し1972年メキシコ政府より文化勲章アギラ・アステカ賞を受賞。日本における壁画芸術の推進に努めた。1994年永眠。
⽇本の伝統的絵画の様式を⽤い、油絵という技法を使って描かれる作⾵が特徴。都市⿃瞰図・合戦図などの絵画のみならず⽴体、漫画、インスタレーションなど表現⽅法は多岐にわたる。近年の個展に、12年「望郷TOKIORE(I)MIX」(銀座メゾンエルメス フォーラム、東京)、15年「⼭⼝晃展 前に下がる 下を仰ぐ」(⽔⼾芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)、21年「山口晃 -ちこちこ小間ごと-」(ZENBI-鍵善良房-、京都)等。成⽥国際空港のパブリックアート、富⼠⼭世界遺産センターシンボル絵画を⼿がける⼀⽅、新聞⼩説や書籍の挿画・装画など幅広い制作活動を展開。19年のNHK⼤河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当する。東京2020パラリンピック公式アートポスターを制作。
躍動」を一貫したテーマに絵画作品を制作。代表作はサムライシリーズやスプリンターシリーズ。コマーシャルアートの分野では有名フィットネス誌表紙をはじめ、世界的スポーツブランドなどスポーツやアスリートに特化したビジュアルを作成、音楽フェスでのライブペインティング、参加者3 万人規模のマラソン大会公式ビジュアルなどを手がける。2010年に自身のアートブランドを立ち上げ作品の発表、販売を開始。2015年、大阪で開催されたアジア規模のアートフェアではイープラス賞を受賞し、エンターテインメント系現代絵師としての道を開拓中である
1990年、隔離タンクの中で瞑想する体験型の作品《タンキング・マシーン》でデビュー。「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマに機械彫刻を制作。ユーモラスな形態に社会的メッセージを込めた作品群で、国内外で評価される。2011 年、東日本大震災後、希望のモニュメント《サン・チャイルド》を制作し、国内外で巡回。2017年、福を運ぶ旅の守り神《SHIP’S CAT》シリーズの制作を開始し、2021 年、大阪中之島美術館に《SHIP’S CAT (Muse)》が恒久設置される。創作の原点は幼少期に大阪万博会場が解体されていく現場「未来の廃墟」で遊んだこと。美術の起源や存在意義を問い、環境と相互作用をもたらす作品を制作している。第9期瀧冨士美術賞受賞者(1988年、現在の国際瀧冨士美術賞)。
1868年、常陸国水戸(現在の茨城県水戸市)に生まれる。1889年、東京美術学校に第1期生として入学し岡倉天心の薫陶を受ける。1898年、天心とともに日本美術院創設に参画する。明治、大正、昭和にわたり新しい日本画の創造につとめ、近代日本画に革新をもたらした。1937年、文化勲章受章。1958年逝去。
1973年、石川県石川郡野々市町(現・野々市市)生まれ。金沢美術工芸大学商業デザイン専攻を中退。1996年にスタジオジブリに入社し『もののけ姫』(97年)、『ホーホケキョとなりの山田くん』(99年)では動画、『千と千尋の神隠し』(01年)で初めて原画を担当。その後、ギブリーズepisode2』(02年)、『ハウルの動く城』(04年)、『崖の上のポニョ』(08年)で原画を、『ゲド戦記』(06年)では作画監督補を務めた。また、三鷹の森ジブリ美術館オリジナル短編作品『めいとこねこバス』(02年)では演出アニメーターを担当したほか、企画展示用映像『空想の空とぶ機械達』(02年)の作画監督、常設展示フィルムぐるぐる上映作品『進化論』(08年)の絵コンテ・演出など、展示用作品も手がけている。2010年に公開した『借りぐらしのアリエッティ』では初監督に抜擢。その年の邦画NO.1となる、観客動員765万人・興行収入92.5億円を記録。2作品目の『思い出のマーニー』は第88回米国アカデミー賞長編アニメーション映画部門にノミネートされた。2017年夏に公開された「メアリと魔女の花」はジブリ退社後にスタジオポノックで制作した第一回長編作品となる。